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10万円弁理士coffee|令和3年度弁理士試験に1年・総費用10万円以下で一発合格した現役の企業内弁理士。メーカー開発職→知財部→外資系IT企業。実体験と一次データに基づいて執筆しています。 → 詳しいプロフィール
「特許事務所はやめとけ」——転職を考えて検索すると、まずこの言葉に当たります。
私は企業の知財部で働く現役の弁理士です。つまり特許事務所に仕事を発注する側にいます。この立場で、いくつもの事務所とやり取りしてきました。良い事務所も、正直「ここはきついだろうな」と思う事務所も、外から見ています。
ネット上の「やめとけ」論のほとんどは、事務所で働いた人の内側からの声です。それはそれで貴重なのですが、発注側から見ると、その事務所がどういう状態にあるかは、中の人が言葉にする前に、もっと乾いた形で見えています。担当者が何回変わったか。納品が期限の何日前に来るか。見積もりがいくらか。そういうものです。
この記事では、その発注側から見えている景色を書きます。結論から言うと、「特許事務所はやめとけ」は正しくありません。正しくは「ハズレの事務所はやめとけ」であり、問題はそれを入る前に見抜けないことです。見抜く方法は、あります。
結論:「特許事務所はやめとけ」は事務所による。問題は“どこがハズレか”を見抜けないこと
特許事務所という業態が一律にブラックなわけではありません。同じ業界の中に、しっかり稼いで定時に帰る人と、収入が伸びないまま終電まで残っている人が同時に存在します。この差は本人の能力よりも、どの事務所に入ったかで大きく決まります。
しかも厄介なことに、この業界の事務所は数が多く、規模が小さく、外から情報が出てきません。上場していないので有価証券報告書もなく、口コミサイトに載るほど従業員数もいない。だから「やめとけ」という乱暴な一般論だけがネットに残ります。
この記事の目的は、その一般論を、入る前に確認できるチェック項目に置き換えることです。
なぜ「特許事務所はやめとけ」と言われるのか|5つの理由
まず、なぜこの言葉が生まれるのかを整理します。どれも「事務所という業態の構造」から来ていて、個々の事務所の善意や悪意とはあまり関係がありません。
理由1:年収が上がる人と上がらない人が、極端に分かれる
多くの事務所は歩合的な報酬構造を持っています。処理した件数や売上に連動して収入が決まる形です。これは実力がつけば大きく伸びる一方、件数をこなせない時期はそのまま収入に跳ね返ります。
企業の知財部のように「年次で自動的に上がる」仕組みは基本的にありません。入所して数年、まだ明細書を1件書くのに時間がかかる時期は、企業の同年代より収入が低いことが普通にあります。ここで「話が違う」となる人が一定数出ます。
理由2:仕事量が「自分の裁量」ではなく「件数」で決まる
事務所の仕事は請負です。クライアントから来た案件をこなすのが仕事で、来る量は自分では決められません。発注側にいると分かりますが、出願件数には明確な波があります。クライアントの予算期、優先権の期限が集中する時期。この波がそのまま事務所の繁忙期になります。
件数や残業の具体的な水準については、特許技術者はきつい?ノルマ・激務・ブラックの実態で数字を交えて書いています。
理由3:教えてもらえるとは限らない
これが個人的には一番大きいと思っています。歩合的な報酬構造の裏返しとして、先輩が新人を教える時間は、先輩にとって純粋なコストになります。教育に熱心な事務所は、それを制度として作り込んでいるか、所長がその文化を強く持っているかのどちらかです。
そうでない事務所に入ると、「見て覚えろ」に近い状態になります。明細書は独学で上達しにくい技能なので、ここで数年を失うと、その後の市場価値に直接響きます。
理由4:組織が小さく、人間関係が閉じている
特許事務所の多くは数人から数十人規模です。部署異動という逃げ道がありません。所長との相性が悪ければ、それは日常のすべてに影響します。企業なら「数年待てば異動がある」が成立しますが、事務所では成立しません。
理由5:働き方がクライアントの都合で決まる
期限は特許庁とクライアントが決めます。事務所側で動かせません。私たち発注側が「この期限でお願いします」と言えば、事務所はそれに合わせます。リモートワークや裁量労働が制度として入っていても、期限が動かない以上、実質的な自由度は制度ほどには上がりません。
発注側から見ると、ブラックな特許事務所はこう見える
ここからが、この記事でいちばん書きたかったことです。事務所が疲弊しているかどうかは、発注側には結構はっきり見えています。そして見えているサインは、転職希望者が面接や求人票から読み取れるものと、実はかなり重なります。
サイン1:担当者が頻繁に変わる
これが最も分かりやすい指標です。同じ技術分野を担当してもらっているのに、短い期間で担当者が変わる事務所があります。発注側からすると技術の説明を一からやり直すことになるので、正直かなり困ります。
担当者が変わる=辞めているということです。定着していない事務所には理由があります。逆に、長く同じ人が担当してくれている事務所は、それだけで信頼できます。
サイン2:納品がいつも期限ギリギリ
余裕のある事務所は、こちらのレビュー期間を見込んで早めに出してきます。逆に、常に期限の前日や当日に上がってくる事務所は、中で案件が詰まっています。
1回2回なら誰にでもありますが、これが常態化している事務所は、受注量に対して人が足りていないと考えてまず間違いありません。そこに新人として入れば、その状態の中に組み込まれます。
サイン3:明細書の質が担当者によって大きく違う
同じ事務所なのに、ある人の明細書はほぼ直しがなく、別の人のは全面的に書き直しが必要、ということがあります。これは事務所としての品質管理と教育が機能していないサインです。
ちゃんとした事務所は、若手の書いたものにベテランがレビューを入れる仕組みを持っています。その工数を確保できている事務所は、教育にも工数を割けます。転職者の立場で言えば、この種の事務所に入れるかどうかが、最初の数年の成長を決めます。
サイン4:見積もりが不自然に安い
発注側としては安いのはありがたいのですが、相場から明らかに外れた安さには理由があります。単価を下げて件数で埋めるモデルは、そのしわ寄せが所員1人あたりの処理件数に直結します。
転職先を検討する側からは見積もりは見えませんが、代わりに求人票の想定年収と、求められる処理件数の関係から同じことが推測できます。件数の要求が高いのに年収が業界水準を下回っているなら、その差はどこかで誰かが埋めています。
転職前に確認できる、特許事務所の見分け方
ここまでのサインを、実際に入所前に確認する方法に落とします。
J-PlatPatで出願件数の推移を見る
特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)で、代理人名に事務所名を入れて検索すれば、その事務所が年ごとに何件出願しているかが誰でも無料で分かります。ここで見るべきは絶対数ではなく推移です。
- 件数が右肩下がり:クライアントが離れている可能性。将来性に不安
- 件数が急増:受注は伸びているが人が追いついていない可能性。繁忙のリスク
- 横ばいで安定:最も健全。既存クライアントとの関係が続いている
出願人の偏りを見る
同じくJ-PlatPatで、その事務所が代理している出願人の顔ぶれを見ます。1社のクライアントに件数の大半が集中している事務所は、その1社との関係が切れた瞬間に立ち行かなくなります。
発注側にいると、企業が事務所を切り替える判断は、思っているよりあっさり行われることが分かります。担当者が変わった、コスト削減方針が出た、それだけで発注先が動きます。売上の大半を1社に依存している事務所は、構造的に不安定です。
求人票の書き方を見る
求人票には、その事務所が何を当たり前だと思っているかが出ます。
- 「未経験歓迎」と書いてあるのに教育制度の記載が一切ない
- 想定年収の幅が極端に広い(=歩合の比率が高い)
- 「アットホーム」「やる気重視」など、制度の記載を精神論で代替している
- 常に求人が出続けている(=辞め続けている)
特に最後の「常に求人が出ている」は強力なシグナルです。転職サイトで気になる事務所を見つけたら、半年前の求人が残っていないか検索してみてください。
面接で聞くべき4つの質問
「残業はどれくらいですか」は、聞いても正直な答えが返ってきにくい質問です。代わりに、事実を答えるしかない質問をします。
- 「直近3年で入所された方は何名で、いま何名残っていますか」
- 「新人が書いた明細書は、どなたがレビューされますか」
- 「1人あたり年間何件くらい担当されていますか」
- 「主要なクライアントは何社くらいで、一番大きいところは全体の何割ですか」
この4つに具体的な数字で答えられる事務所は、それだけで上位です。答えを濁す、あるいは「人による」で流す事務所は、その部分を管理していないということです。
特許事務所の年収は、本当に上がらないのか
結論としては、事務所の年収は「低い」のではなく「分散が大きい」というのが実感に近いです。同じ業界の同じ年次で、かなりの差がつきます。
その差を生むのは、だいたい次の3つです。
- 処理できる件数:歩合の比率が高い事務所ほど、ここが直接効きます
- 単価の高い仕事を任されているか:外国出願、係争絡み、鑑定などは単価が違います
- 事務所の単価設定そのもの:安値で件数を取る事務所にいると、個人がどれだけ頑張っても上限が低い
3つ目が見落とされがちです。発注側からすると、事務所ごとの見積もり単価には想像以上の開きがあります。安い事務所で件数をこなすより、単価の高い事務所で丁寧にやるほうが、結果的に年収も技能も伸びる——これは外から見ていて、かなりはっきりした傾向だと感じます。
そして単価は、その事務所がどんなクライアントを持っているかで決まります。J-PlatPatで出願人を見ることが、実は年収の見極めにもつながっているのは、そのためです。
「転職して後悔した」が起きる典型パターン
後悔の声を整理すると、内容はバラバラでも、入り方のパターンは驚くほど似ています。
パターン1:条件だけ見て、中の仕組みを聞かなかった
提示年収と勤務地だけで決めてしまい、教育体制・レビュー体制・件数の実態を確認しないまま入るケース。いちばん多く、いちばん防ぎやすいパターンです。
パターン2:急成長中の事務所に、拡大のピークで入った
受注が急に伸びている事務所は、勢いがあって魅力的に見えます。ただし人の採用と教育は受注の増加に必ず遅れます。そのギャップの時期に入ると、教わる人がいないまま件数だけ渡されることになります。J-PlatPatで件数が急増している事務所は、この点だけ確認したほうがいいです。
パターン3:「人が少ないから裁量がある」を額面通りに受け取った
小規模事務所の求人でよく見る表現です。実際に裁量が大きいこともありますが、「人が少ない」は「教える人もいない」「代わりもいない」と同義でもあります。どちらの意味なのかは、直近3年の入所者数と定着状況を聞けば分かります。
逆に言えば、この3つを避けるだけで、後悔の大半は回避できます。ブラックな事務所を引く確率は、運ではなく確認の量で下がります。
それでも特許事務所を選ぶ価値がある人
ここまで注意点を並べましたが、発注側から見ていて「事務所の人は本当に強いな」と思う瞬間は何度もあります。
企業の知財部にいると、自社の技術しか見ません。一方、事務所の弁理士は、複数の会社の、複数の技術分野の発明を次々に見ます。この「量」と「幅」は企業では手に入りません。長くやっている人の引き出しの多さは、正直かないません。
- 技能を身につけて市場価値を上げたい人:明細書を書ける人材は常に不足しています
- 成果が収入に直結してほしい人:歩合の構造は、できる人には有利に働きます
- いずれ独立を考えている人:事務所の経営を内側から見られるのは大きい
- 広く技術を見たい人:1社に閉じない面白さがあります
逆に、安定した収入と決まった労働時間を最優先するなら、企業の知財部のほうが素直に合います。これはどちらが上という話ではなく、単に設計が違います。
特許事務所と企業知財部、どちらがきついのか
両方を見てきた立場で言うと、きつさの種類が違うだけで、総量はそれほど変わりません。
事務所のきつさは分かりやすい。件数と期限です。数字で見えるので、しんどさも明確です。
企業知財部のきつさは見えにくい。事業部から「この特許で他社を止められないのか」と言われ、止められないと説明しても納得されない。予算を削られる。成果が数字で出ないので、評価もされにくい。この種のしんどさは、外からはまず見えません。
「事務所がきついから知財部へ」と考えている人には、移った先にも別のきつさがあることは伝えておきたいです。
両者の違いをもっと具体的に比べたい方は、特許事務所と企業知財部どっちで働くべき?もあわせてどうぞ。
知財部側への移り方については、知財部への転職は難しい?未経験から入る4つの現実的ルートにまとめています。
よくある質問
未経験で特許事務所に入るのは無謀ですか?
無謀ではありませんが、事務所選びの重要度が経験者より格段に上がります。経験者は自分で仕事を回せるのでどこでも何とかなりますが、未経験者は教育の有無が数年後の自分を決めます。上の「新人の明細書は誰がレビューするか」という質問は、未経験の方こそ必ず聞いてください。
弁理士資格がないと特許事務所では厳しいですか?
特許技術者として無資格で働いている方は大勢いますし、実務力は資格の有無とは別物です。ただし資格があると「選べる立場」になるのは事実です。合わない事務所に入ってしまったとき、資格があれば移れます。それが最大の価値だと思っています。
大手事務所と中小事務所、どちらがいいですか?
規模より、上に挙げたチェック項目のほうが効きます。発注していても、大手だから安心ということはありません。むしろ大手は担当者によるばらつきが大きく、中小のほうが所長の目が届いていて品質が安定していることもあります。「規模」ではなく「定着率と教育」で見てください。
入ってみて「やめとけ」の事務所だったら?
早めに動いていいと思います。この業界は狭いので転職が不利になると心配する方がいますが、実際には人材不足の業界なので、実務ができる人はどこでも歓迎されます。合わない環境で消耗して技能が伸びないことのほうが、長期的にはずっと損です。
まとめ:「やめとけ」ではなく「見分けろ」
特許事務所という業態そのものに問題があるわけではありません。問題は、外から中の状態が見えないまま入ってしまうことです。
発注側から見ていると、良い事務所とそうでない事務所の差は、かなりはっきりしています。そしてその差を生んでいる要素——定着率、教育の仕組み、クライアントの分散、受注量と人数のバランス——は、J-PlatPatと求人票と面接の4つの質問で、入る前にほぼ確認できます。
- J-PlatPatで出願件数の推移と出願人の偏りを見る
- 求人が常時出ていないかを確認する
- 直近3年の入所者数と残っている人数を聞く
- 新人の明細書を誰がレビューするかを聞く
この4つをやるかどうかで、その後の数年が変わります。「やめとけ」で検索してここまで読んだ方なら、もう十分に慎重です。あとは確認するだけです。
